「社長がOKと言ったのに、なぜ契約が進まないのか」
法人営業をやっていると、こんな経験をした人は少なくないのではないだろうか。
意思決定者からは好感触をもらった。「いいね、進めよう」と言ってもらえた。なのに、そこから何週間、何ヶ月経っても契約に至らない。催促しても「社内で調整中です」と言われるばかり。何が起きているのか、さっぱりわからない。
私自身、外資系IT企業でカントリーマネージャーを何社か経験してきた中で、こうした壁に何度もぶつかった。そして、その原因はいつも同じだった。意思決定に関わる「見えない関係者」の存在を把握できていなかったのだ。
組織の複雑化が生む「見えない壁」
B2Bのビジネスにおいて、購買の意思決定プロセスは年々複雑化している。かつては部長や役員の一声で決まっていたものが、現在はIT部門の技術評価、セキュリティレビュー、コンプライアンスチェック、エンドユーザーのフィードバック、さらには別部門からの承認まで求められるケースが増えている。
これは日本企業に限った話ではない。グローバルでもB2B購買に関わるステークホルダーの数は増加傾向にあるが、特に日本企業の場合は稟議制度や合議文化があるため、関係者の数はさらに多くなりがちだ。
営業としてこの現実を直視しなければ、いくら良い商品を持っていても、いくら素晴らしいプレゼンをしても、案件は動かない。
意思決定に関わる5つの登場人物
では、B2Bの購買プロセスには具体的にどのような関係者が存在するのか。大きく分けると、以下のような役割の人たちがいる。
意思決定者(Decision Maker) は、最終的に購買を承認する権限を持つ人物だ。社長、役員、本部長など、金額に応じた決裁権限を持つ立場にある。多くの営業がここにフォーカスするが、実はこの人物だけを押さえても案件は進まないことが多い。なぜなら、意思決定者は通常、周囲の評価や推薦を基に判断を下すからだ。
イネーブラー(Enabler / 企画立案者) は、BECQAフレームワークの中でも最も重要視している役割だ。ビジネス課題の解決に取り組む社内リーダーで、企画書を作成し、社内承認を取り、プロジェクトを推進する人物。この人物の個人的な動機——キャリア向上や成功体験への欲求——を理解し、支援することが、案件獲得の核心になる。
テクニカルバイヤー(Technical Buyer) は、製品やサービスが技術的な要件を満たしているかを評価する担当者だ。IT部門の担当者やシステム管理者などが該当する。彼らの「技術的にNG」という判断は、経営層の支持があっても案件を止める力を持つ。逆に、彼らが「技術的に問題なし、むしろ優れている」と評価してくれれば、強力な推進力になる。
エンドユーザー(End User) は、導入後に実際にその製品やサービスを日常的に使う人たちだ。現場の使い勝手に関する意見は、社内の評価会議で大きなウェイトを占める。「現場が使いたがっている」という声と「現場が嫌がっている」という声では、案件の進み方がまったく異なる。
インフルエンサーとエナミー(Influencer & Enemy) も見逃せない存在だ。インフルエンサーは直接の決裁権はないが、組織内で影響力を持つ人物。エナミーは変革に反対する勢力で、現状維持を望む人や、競合との関係がある人、あるいは予算を別の用途に使いたい人などが該当する。エナミーの存在を知らないまま商談を進めると、最終段階で想定外の反対意見が出てひっくり返されることがある。
「後から」では遅い——事前マッピングの重要性
これらの関係者の存在に、商談の途中や終盤で気づくのでは遅い。初回ミーティングの段階から「このプロジェクトには誰が関わりますか」という視点を持ち、能動的に情報を集めていく必要がある。
私が実践しているのは、イネーブラーと一緒にクローズプランを作成する際に、関係者マッピングを組み込むことだ。具体的には、「承認に必要な人は誰ですか」「技術評価はどなたが担当されますか」「このプロジェクトに慎重な立場の方はいらっしゃいますか」といった質問を率直に行う。
ここで大切なのは、聞くだけではなく、得た情報をもとに「それぞれの関係者への対応策」をクローズプランに落とし込むことだ。テクニカルバイヤーには早い段階で技術資料や検証環境を提供する。エンドユーザーにはデモや試用の機会を設ける。反対派に対してはリスク対策や段階的な導入案を準備する。
こうして全員にグリーンフラグを立ててもらうための段取りを、営業活動の計画として組み立てていく。
関係者マッピングが商談の質を変える
関係者を事前にマッピングすることのメリットは、単に「案件が止まるリスクを減らす」だけではない。
まず、商談のスケジュール精度が上がる。誰の承認がいつ必要で、どの会議体を通す必要があるかがわかれば、逆算して必要な準備を適切なタイミングで行える。「なぜ案件が進まないのかわからない」という状態がなくなる。
次に、イネーブラーとの信頼関係が深まる。関係者マッピングを一緒に行うことで、「この営業は自分の社内事情を理解してくれている」「一緒にプロジェクトを進めるパートナーだ」という認識が生まれる。これは単なる製品の売り込みとは次元の異なる関係性だ。
そして、競合との差別化にもなる。多くの営業は意思決定者にだけフォーカスし、テクニカルバイヤーやエンドユーザーへのケアが疎かになりがちだ。そこを丁寧にカバーするだけで、顧客の社内では「あのベンダーは対応が丁寧だ」「こちらの事情をよくわかっている」という評価につながる。
まとめ——全員にグリーンフラグを
B2Bの意思決定は、組織の複雑化に伴い、関わる人の数が増え続けている。意思決定者、イネーブラー、テクニカルバイヤー、エンドユーザー、インフルエンサー、エナミー。それぞれが異なる関心事を持ち、異なる評価基準で判断を下す。
営業として私たちにできることは、これらの関係者を商談の初期段階から把握し、それぞれに合った対応を計画的に行うこと。そして、その全体像をイネーブラーと共有しながら、一緒にゴールに向かって進んでいくことだ。
全員にグリーンフラグを立ててもらう。シンプルだが、これを愚直にやり続けることが、B2B営業で確実に成果を出すための基本動作だと、30年の実務を通じて確信している。
あなたの今の商談で、まだ把握できていない関係者はいないだろうか。一度立ち止まって、関係者マッピングを見直してみてほしい。




